〜はじめに〜
私は未亡人となった母の苦労を見るにつけ、女性の経済的な自立が必要と考えました。女性の職業についていろいろ研究しましたが、米国に於いても永続性があり、又、収入の多いのも洋裁でした。洋裁技術の体得により生活上の安定を得れば安心が生じます。その安心が有るところに幸福があるものと私は信じて居ります。現在の実業学校を創立したこともかような動機があり、目的があったからであります。
大多和音吉「本校創立の動機目的について」より
1924年(大正13年)
松江ミシン裁縫学院創立
今から50年前、私は2期生として松江ミシン裁縫学院に入学した。16歳の春だった。その頃はまだ学校というより塾という感じで、生徒は20名くらいだった。通学には袴を着、教材は風呂敷に包んで持って行った。同年齢の生徒のほかに、年上の花嫁修業の人もおられた。先生方とも親しくなり、凝った肩をもんでいただいたり、お昼休みに近くの草原でれんげ草を摘んだりしたこともあった。和裁・洋裁の技術を学び、卒業するころにはこれといってできない仕事はないほどであった。
「ともしび第27号」より
1964年(昭和39年)
松江家政高等学校 創立40周年
私は聖火が松江を通る際の「聖火ランナー」に選ばれた。先生から「君は、県庁から東朝日町までだ」と言われ、「人通りの多い所を走るんだなあ」と思った。そして毎日、毎日家に帰ってから練習をした。何が何でも走り切らなければと思った。そして9月24日、たくさんの人々の拍手に包まれて走り出した。手が震えながらもトーチが下の方にならないように気をつけて、道沿いに人の切れ間がない中を走った。この日のことはいつまでも忘れることはないだろう。
「ともしび第17号」より
1966年(昭和41年)
松江家政高等学校
2月8日は言うまでもまく、針供養の日である。被服科の生徒にとって針は毎日の学校生活と切っても切り離せない。縫い針を手にしている縫い物をする女性の姿は美しいと思う。針もそれにこたえて、あんなにか細い体でいつもせわしく働いてくれる。針供養では、使えなくなった折れ針や錆び針に対して感謝の気持ちでもって祈りたい。明日からも針1本1本を大切にしたいと思う。
「ともしび第19号」より
1982年(昭和57年)
松江第一高等学校
くにびき国体は私の高校生活の中で、最大の思い出だ。強化選手に選ばれたものの、夏季の水をかぶりながらのランニング、冬季の雪上でのランニングとつらいことが多く、「もうハンドボールなんかやめてやる」と何度も思った。しかしチームのみんなに支えられて乗り越えた結果、国体少年女子ハンドボールは第3位という成績をあげることができた。この経験から得た自信は、これから社会に出る私にとってもプラスになったと思う。
「ともしび第35号」より
1984年(昭和59年)
松江第一高等学校
創立60周年
祥明(サンミョン)女子高校との交歓会が始まった。韓国語が分からないので、英語で会話をするのだが、お互いに身ぶり手ぶりを交えて何とか意思の疎通ができた。日本語を教えたり、韓国語を教わったり、他のテーブルでは一緒にビートルズの「イエスタディ」の合唱が始まったりしていた。過去の歴史から、両国の年配の方の中には、反日、反韓の感情を消せない人もいるが、隣の国同士、もっと交流をしていかなければと思った。
「ともしび第37号」より
1993年(平成5年)
松江第一高等学校
我々野球部は、創部6年目にして初めての甲子園出場を果たした。今年のチームは打力のチームだと言われていたが、本当のところはチームワークで勝ち取った甲子園だと思っている。3年生は少人数だったが、その分まとまりがあってここまで来ることができた。大会4日目第4試合で新潟明訓高校と対戦し、1-3で敗退した。甲子園には出場するだけでなく勝つことを目標として臨んだが、及ばなかった。初勝利は後輩たちに託したい。
「ともしび第46号」より
1994年(平成6年)
開星中学・高等学校
創立70周年 開星中学開設
地元の中学には行かず、この開星中学に1期生として入学したが、最初は不安と緊張でいっぱいだった。速い進度の授業、補習、全国模試と大変な面もあるが、充実感もある。文化祭では高校生の先輩方と一緒に楽しんだり、遠足で行ったアジア大会のサッカー観戦では、ウズベキスタンの選手と交流したりといろいろな思い出ができつつある。これからも未知のことにチャレンジしていきたい。
「ともしび第47号」より
2004年(平成16年)
開星中学・高等学校
創立80周年
今年の文化祭は、中国04総体のために時期を変更し、5月に県民会館大ホールで行われた。私たちコーラス部と吹奏楽部は「80周年記念天籟祭 だんだんコンサート」として数か月前から2つの部で試行錯誤を繰り返しながら準備を進めてきた。ただ歌ったり演奏をするだけでなく、劇や踊りを取り入れるプログラムを考え、その企画として映画「タイタニック」をドラマ化して上演した。フィナーレでは、全校生徒、保護者、OBの皆様からたくさんの拍手をいただき忘れられない舞台となった。
「ともしび第57号」より
2015年(平成27年)
開星中学・高等学校
創立90周年
僕たち中学サッカー部は先輩方から学んだ「最後まであきらめない」ということを忘れずに、目標であった中国総体優勝をなしとげることができた。そしてこのメンバーで全国大会に出場でき、本当に嬉しかった。1年生の頃は、みんなバラバラで怒られてばかりだったが、一人一人が成長し、協力し合うことができ、チームがまとまることができた成果がこの結果につながったと思う。
「ともしび第67号」より
2019年(平成31年)
開星中学・高等学校
SSHの研修で、JAXA筑波宇宙センターを見学した。ここでは人工衛星を開発して宇宙の惑星の探査を行ったり、また宇宙飛行士を養成したりもしている。施設内には宇宙飛行士選抜試験の際に使う閉鎖ボックスもあった。国際宇宙ステーションでは地球上の生物を宇宙空間に持っていき、無重力下での実験観察をしている。宇宙飛行士の向井千秋さんが宇宙にメダカを持っていき実験をしたが、そのメダカの子孫が飼育されていた。
「ともしび第71号」より